出口の無いアラベスク〜宇宙人ならミスター・スポック

■2/14に贈ったものはその後食卓の上に放置される、というのが例年のことになりつつある。ただし今年の場合は、2/14以降、もしかしたら一度くらいか、へたすると一度も、食卓を囲んで食事などをしていないため、それも致し方ない気もするのである。また、去年の場合と違って、今年の放置品は常温でも時間がたっても悪くなることがない。おかげで、日々目にしている私の気分も悪くなることがない。

■最近、毎日、天気はいいし、昼頃に出かける用意まではするのだけど、結局出て行かない日が続いている。どうしたことかと思っていたけど、知人の口から「寒の戻り」という言葉を聞いて納得。そう、ここ数日、たしかに寒い。だから家を出る段になってなんとなく足が重くなっていたんだわ。

■とあるレンタル日記サービスに登録してみた。トップページ(?)に、最近更新された日記が更新順に紹介されている。デザインと内容への興味で、いくつか見てみて、女性オーナーの自分自身の性生活に関する記述の多いことに驚いた。今まで、webで公開されている日記というものをたくさん見てきたつもりだけれど、ある意味無作為に、俯瞰したことはなかったからなあ。ほんと、当然のような存在なのだなあ。そういう記述が中心になっている日記もさることながら、そうでなくて雑多な事柄を記している日記の一節に、ごく普通に記されている例のほうが私には新鮮だった。たぶん、これって、この日記サービスに特有なのではなくて、一般的に、こういうものなのだろうなあ。たしかに、日常、口に出さない/出せない/出しにくいことながら実はとても日常的な事柄であるということは、よく言われることではあるし、私も思うところではあるのだけれど・・・。いまだに、ほんのちょっと乃至かなり、ひいてしまう。心が狭いからだろうということはわかっているのだけど、どうしてもね・・・。

■それと直結するわけではないが、私は、心の狭さというのも大事だと思っている。「愛はだし惜しみして使う」というのは嶽本野ばらの言葉。

つまりは僕の性格は「ケチ」なのだと思います。いろんなことに対し、無防備に自分の心を開くことが勿体無くて仕方ないのです。僕はいつだって王様きどりです。(略)広い視野を持て、と先人は言います。が、それはそんなに大切なことなのでしょうか。(略)ミクロはマクロに絡がります。僕は宇宙の果てで繰り広げられる壮大な未来の誕生より、小さな瑪瑙(めのう)の中で育まれた結晶世界の出口のないアラベスクのほうが、よっぽど美しく思えるのです。漫画なら大島弓子、書物なら澁澤龍彦、音楽ならバッハ、花ならかすみ草、宇宙人ならミスター・スポック。それさえあれば事足ります。(嶽本野ばら[それいぬ]より)

私には、貴石を見つめる趣味はないが、まず、同じ意味で「ケチ」であることには間違いがない。

彼は、愛情を注ぐ対象を限定すると言っているのであり、愛情をただ惜しめといっているわけではないのだが。

■そこでの日記のタイトルは[日々是嫌日](昔、ナゴムレコードの社長が某誌に持っていた連載のタイトル)というのが候補に上がっていたのだが、参考にと見て回った日記の中でわりと気になった日記に[日々是好日]というタイトルがあったので、却下した。その日記のオーナーさんのプロフィール、性別・年齢・居住地・職業まで私と同じ。奇遇だなあ(私が後参だけど)。


■■T・クルーズ、LDについてアドバイス
http://entertainment.msn.co.jp/articles/nartist2.asp?w=125664
サイエントロジーって、聞いたことあるような気がするけどもしかして?と思ったら、やっぱり。そんなにあやしい宗教でもないんだろうか?