blog/web日記 意識調査(to自分)

(キーワード:web日記 の定義がおもろい。うぷぷ。^-^)


仲良しの人がblogを始めた! \(^o^)/


わ〜いわ〜い。
すごく楽しみ。


私もこっちを頑張ろう・・・
せめて一日1エントリ・・・
(freeplayさんを見習って^-^)


と言いながら、さっそく昨日・一昨日のぶんをサボってるがな(−−;)
でも埋めようとすると、書きたいことがあれこれあって、とりあえずどれを書こうかな?
と迷ってしまって、なかなかできないんだよね・・・
ダメだこりゃ。


blog/日記といえば、私は過去5年ほどweb日記を書いている。
過去にこんなに続いたことは、日記以外でもそうそうないかも・・・


そこで、どうしてこんなに続いたのかな?
と、考えてみた。

その1:なんのためか?をはっきりしてきた


私の場合、続けているのは、ひたすら自分のためだと公言している。
 (そのくせ、人目を気にしてしょっちゅう加筆訂正しているけど−−;
  でも、それだって結局のところ自分が気に入らないことが第一義なのかな)
日記の意味は、第一に記録にあり。
アルバムにも似た存在であることが理想。


日記が何年も続いてきて、いちばん喜んでいるのは、そして、いちばんその恩恵にあずかっているのは自分自身だと確信しているし。
誇れることではないけども・・・。
日記を全て整理してupしていた頃は(今ははてなダイアリー以前はお蔵入りになっている)とくに、
1年前の今日の私は?・・・2年前は、3年前は・・・?
というかたちで、よく読み返したものだ。
とくにクリスマスや、バレンタインデー、誕生日なんかに(ふふふ)


そういう風に、いちばんたくさん読んだ人間も自分自身であると確信している。


その2:適度に人の目を意識して


私の場合、誤字脱字をしないよう気をつけることと、どう見られたいかってことを少しばかり心にとめて・・・
アッサリやりたいな、と。笑


一人称は[私]。
[あたし]でも[ワシ]でもなく。>最近、女性のblogの一人称はこれらが多いらしい
↑とか、実はちょっとだけ意識している。(−−*)


他人の記事へのレスは、無理しないけど、多少は信義を重んじて・・・


番外:今では、「続いてきたから続けよう」という気持ちも少なからずある。


・・・といったところ。
ゆるい。


これ以上のことは、その時々で。
たとえば、
「少しは人の役に立つ記事を書こう」
と思って、ニュースを拾っていた時期もあったりした。


ちなみに今は、最低限の2点くらいしか意識していない。


お気楽極楽。


とはいえ、長年書いている間には、「書いておきたい事が、書けない」・・・
というジレンマに陥ったことが何度もあった。
それで、そういうときだけ、長々と書いてupはしないで保存しておいたり・・・
そして、二度と開かなかったファイルがほとんど。(^-^;)
今は、「webに書けないことなんか、忘れてもええやん。むしろ忘れちまえ。」ということで納得している。
・・・そのわりにグチ愚痴書いてた時期もあったような気もしないでもないけれど。(−−;)


そして、この先また心境が変わってみると、その時にもそう思っていられるかどうかはわからない。


迷いが心を支配していて、ほかのどんなことを書いても無意味に思えてしまう時が、また来ることがあったとしたら。