墓参り。


朝から郵便局や、土産の買い物。
そしてお墓参りに行きました。母と下の子の3人で。
お盆じゃないけど、許してね。


お墓に着くと、まず水鉢をきれいにして花立ての水をかえます。
そのまん中、ちょうど2才の息子の目線の高さに小さな小さなアマガエルが座っていました。
まるで待っててくれたみたいに。



息子を見てくれたかな。
一緒にお墓に水をかけ、手を合わせました。


先祖代々眠っている墓ですが、私が直接知っているのは20年ほど前に亡くなった祖母だけです。
なので墓参り=祖母に会いに来る感覚です。
祖母は終戦間際に夫と息子と娘(私の祖父と伯父・伯母)を亡くしています。
その後、姑に仕えながら私の父とその3人の姉達を育て上げました。
明治生まれでそんな苦労人でもあった祖母は厳しい人でした。
祖父達が亡くなった時、末っ子で生後5ヶ月ほどだった父は唯一の男子となり、「家(いえ)とり」としての責任を背負い、優遇されて育ったようです。


成人した伯母達もそれぞれに嫁ぎ、そのうち2人は祖母より先立ってしまいました。
夫と息子・娘を同時に、その後成人した娘を2人も亡くした祖母は「毎日が葬式のような人生だった」と言っていたそうです。
晩年には私のことを「ひろこ」と呼びました。3番目の伯母の名前です。


成人後亡くなってしまった伯母達にはそれぞれ子がいて、今では孫も生まれています。
祖母の子は6人。孫は10人。ひ孫はただいま増殖中です。


祖父は私が生まれる30年も前に他界しており、親しみを感じられる存在ではありません。
写真もほとんど残ってないし。
ですが、やはり祖父のお陰で今の私や子があるのです。
人間、死んでしまっても誰かの中に生き続けて行くのですね。
でもやっぱり死んでしまってはさみしいものです。
医療の進歩で「死」はどんどん難しくなり、曖昧にもなりつつあるように思います。
それが良いことか、よくないことなのか。一概には言えないし、進歩するものは止められないでしょう。
それでもやはり、戦中・戦後に物がないためどうしようもなく我が子を死なせてしまった祖母は母親として不幸であったと思います。
苦しみを背負って生き続けなければならないことがまた不幸にも思えるけれど、子孫がひとつでも幸せを感じられるなら報われる気もするのです。
子供のためとか親のためとか、じつはそんなに難しいことではなくて、ただ生きているだけで誰かのためになることもあると思います。
葛藤、後悔、罪悪感、私も34年分背負っていますが、祖母は今日も教えてくれました。
こんな私でも生きてていいって。意味がないことはないって。


お墓参りが出来ない年も、終戦記念日が近づくと祖母達の戦争体験に思いを馳せます。


 * * *


と、こんな気持ちを吹き飛ばすような大トラブルで父母大喧嘩。
私を使って父に抗議する母。冷静なだけマシだけど間違いを認めない父。
最終日に来ますかね、こういうの(^^;
三者の介入でなんとかおさまり、3泊4日の帰省を終えて帰宅しました。
帰りは甥っ子も同乗して、京都の親戚宅に送り届けて。
小4にして初めてひとりでおばあちゃんちに泊まりに行くのです^^


第二京阪ラクー!
しかし実家で義姉に教えてもらわなかったら、数年間知らないままだったかも・・・
うちは夫婦揃ってそういう情報に疎いのです。


新しい高速とか出来たら教えてほしいよね。
JAFとか保険屋さんのメルマガとかで。